父の暴力、両親は離婚。母の想いで貧乏でも支え合って生きてきた

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私が小学校低学年の頃、両親が離婚しました。原因は父親の暴力で、母は耐えきれず私たちを連れて家を飛び出しました。母と子ども三人、母親に連れられほぼ一文無しで親戚を頼り遠い地に引っ越しました。

親戚家族は私たちを優しく受け入れてくれ、居候させてくれました。でもやはり食べ盛りの子供3人、居候という肩身も狭い思いもあったのか母と私たちはしばらくして小さな平屋に引っ越しました。お風呂も無くて部屋が2部屋のみ、冬は隙間風が吹き込みとても寒かったのを覚えています。

父親が養育費を拒否。母は朝から晩まで働いた

お金が無いので週に1回か2回、銭湯に行き、その他は身体を拭いたり台所で髪を洗ったりしていました。トイレもボットン便所…今思えば子供だからそれも楽しく乗り越えられたと思います。母子家庭になった我が家は当然お金もなく、父親が養育費を拒否したため母は朝から晩まで働いていました。母も最初は社員の仕事も無く、朝は仕出し屋で働き夜はスーパーのレジをしていました。

私たち子供は3人きょうだいだった為色々出費が多く、どんなに頑張っても母親の収入だけでは食費も学費も足りません。そこで私たちきょうだいは、中学に上がってすぐ新聞配達を始めました。アルバイト代は全額生活費にあてました。それが当たり前だと思っていたので何の疑問も抱きませんでした。一番上の長女は朝と夕方の新聞配達をして家計を支えてくれました。

アルバイトを続け少しづつ生活は楽に

部活をさせてあげられなくてごめんね、とても助かるよと泣かれ、私たちきょうだいは頑張って新聞配達しました。高校になってもスーパーやコンビニでバイトを続け皆で助け合って生活していました。母も社員の職を見つけ、少しずつではありますが生活も楽になっていきました。大学も行かせてやれなかったと母は嘆きますが、私たちは育ててくれただけで感謝しています。お金が無くても、恐怖から解放されささやかな幸せを手に入れたことの方が大事でした。

誰かと励まし安心できる空間の大切さ

今では私たちきょうだいも成人し公務員や会社員になり、家庭を築き幸せに暮らしています。母親は長男家族が同居し、優しいお嫁さんと孫と一緒で母はとても幸せそうです。貧乏だったときは服も全てお下がりで、ランドセルすらボロボロのお古でした。

当時は恥ずかしくて泣いたけど、きょうだいが慰めてくれたりしていました。貧乏が原因でいじめられたりもして学生時代は本当に色々絶望したりヤケになったりもしましたがそれでも誰かと励まし合い安心できる空間があったので、人生落ちかけながらもなんとか踏ん張れました。

仕事で朝から晩まで家におらず、母親の愛情が感じられない時もありましたが今では育ててくれた恩しかありません。今さらながら親孝行したいとあれこれ試行錯誤しています。これからは母に、出来るだけの恩を返していきたいと思っています。

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