授業料が払えず借入。止まらない督促。借金のカタに故郷の家を失った

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幼い時に両親は離婚。母親に引き取られました。

私が幼い時に両親は離婚、私は母親に引き取られ片親に育てられました。私には3歳年下の妹もおり、私と妹の二人の子供を育てるために母親は日々仕事に明け暮れていました。朝から夕方に欠けては派遣社員として働き、夕方から夜に欠けては地元のスーパーでチェッカーとして働くことで日々を凌いでいました。

それでも、手取りで300万円から330万円程度だったと思われます。ですが、母親は私たちに貧しさを感じさせないように過ごさせてくれていました。

妹の高校への授業料の支払いが滞って…

私が20歳になった時、事態が一変しました。妹が通っていた高校への授業料の支払いが滞ってしまったのです。母親は仕方なく、消費者金融から幾ばくかのお金を借りてその授業料を納めました。しかし、それは辛い日々の始まりでした。いくら高校の授業料とはいえ、金額にすると数十万円単位です。当時はグレーゾーン金利があった背景で高金利であったため、母親が借りたお金は、金利をはらんで少しづつ膨れ上がったようでした。

母親が四苦八苦している様子は、家族の私たちにも見て取れました。返しても、返しても、返済額がなかなか減らない。郵便ポストに届く督促状、最後通告の書面。郵便ポストを開けることが一時期は怖くなったほど、頻繁に金融機関からの書状が届いていました。

やがて、無理をした母親は過労で体調を崩し、派遣社員の仕事を辞めざるを得なくなりました。私たちがアルバイトでそれなりに働いたために生活は何とかできていましたが、授業料の借金からはなかなか逃れられません。そして、どうにも首が回らなくなった母親は、彼女の母親、私たちの祖母が生前残した故郷の家を売却することを決めました。

金銭的な呪縛から逃れたが

母親の故郷は中京地区の辺鄙な地域でしたが、敷地が広く、建物自体も亡くなった祖母がしっかり手入れしていたおかげで、地元の役場の手伝いもあって数百万円の金額で引き取られていきました。

金銭的な呪縛から逃れられたとはいえ、老後は故郷でゆっくりと暮らしたいと願っていた母親には苦渋の決断であったようでした。私たちもその家に何度か足を運んだことがあったため、幼い頃の思い出の場所を失った気分でした。

心には暗い影が残る

振り返ると、母親が良かれと思って借りたのだとと思いますが、そうして借りたお金にまつわる出来事が、私や妹の心に暗い影を落としたことは、今でも時折やりきれない想いを抱かせます。

お金を借りることは決して間違ったことではありませんが、想いだけで先走らず、自身の返済能力を考えて借り入れることが重要であり、その判断は、どういった事態の下であっても手を抜いてはいけないように思いました。

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