中学の時は不良グループに。心機一転、奨学金で大学に行ったものの…

pl034

父親がネグレクト、母が教育ママ

私は子供の頃は優等生でした。しかし父親がネグレクト、母がいわゆる教育ママというやつで、ストレスの貯まる生活を強いられていました。父は酒を飲むと暴れ回り、母がいつも尻拭いをさせられていました。

中学生になって、その環境に耐えられなくなった私は、不良グループと付き合うようになりました。そして、高校にも行かずに、親の金を拝借しながら遊びまわっていました。しかし内心では「このままではマズイ」という気持ちがありました。学校に行くことに抵抗がありながら16歳になり、バイクに乗るために教習所に通いたいと思いました。親には「一応これも勉強だ」ということで金を出してもらいました。そして、そこで勉強を教わる楽しさを覚え、定時制の高校へ入学、三流大ながらも四年制大学へ入学することができました。

大学の学費は自分で

しかし、「大学の学費は自分で出せ」という両親の条件がありました。その頃父は失業しており、母がなんとかパートでやりくりしている状況でした。そこで奨学金を借りることにしました。「大学さえ出れば仕事をしながら返せるだろう」という、当時の希望の前には、200万円という数字は全く現実味を感じさせませんでした。

大学を卒業後、いわゆるITブラック企業に入社しました。入社直後からデキる部類だった私は激務のプロジェクトで体を壊し、そしてリーマン・ショックの直撃を受けて、会社が持ってくる案件そのものの質もどんどん落ちていきました。精神的にも肉体的にも参ってしまった私は、精神科に通うようになり、うつ病の診断を受けました。そして「このまま仕事をするべきではない」とのドクターストップから、休職をすることになりました。

毎月じわじわと減っていく口座残高

休職中に手当は出るものの、毎月じわじわと減っていく口座残高を見るたびに、うつ状態は一向に良くなりませんでした。結局うつというのは、自分の生命が安全かどうかを見ているようなものなので、経済的に危なくなるとやはり悪化するのです。そして、治療を受けながらも完治するには至らず、また、賃貸の部屋の期限も切れそうになり、支払いの目処も立たなくなりました。一番頼りたくなかった親に「俺もうダメだよ」と連絡し、相談の末、実家に戻ることになりました。

その後もありとあらゆる無駄な出費を抑えましたが、借金はどうやっても借金で、回復して収入ができ始めた今も、毎月1万5000円という奨学金の返済額をどう捻出するか悩んでいます。結局お金があれば、不良にもならず、借金を背負うこともなく、ブラック企業にしがみつく必要もなかったのです。精神の病をなくすためには、まずお金を作ることだと私は悟りました。

btn_mckd

btn_acom